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アヴァンティ 2008年 1月号

■「『かわいそう』なんて言わないで」

初対面の人にいきなり「かわいそう」と言われたと友人は怒っていました。彼女は雑誌の編集者で「ビジネスマナーについて」という特集でマナーを教える学校に取材に出かけたのだそうです。そこの先生と顔を合わせての第一声が「まー、そんなに真っ黒に陽に焼けてかわいそうに」だったのだそうです。
友人は確かに小麦色の肌をしています。スポーツで鍛えたスリムな身体にその肌の色がよく似合っていて、私は「ゴージャス」とうらやましく思っていたのですが。それにしても表面上は優しい印象を与えがちな「かわいそう」という言葉は使い方によっては、とても失礼ですね。

ちなみに私なんて、背が低くてかわいそう。歳とっていてかわいそう。頭が悪くてかわいそう。美人でなくてかわいそう・・・限りなく「かわいそうの材料」を持ち合わせています。しかし自分ではどうしようもない容姿などについて他人から「かわいそう」なんて言われるのは嫌です。美人でなくっても背が低くても、そのことが私を不幸にしたことは無いのですから。美しい人しか幸せになれないとか背が高くなければお金持ちになれないと決まっていたら気にしますけれど・・。

「かわいそう」はもっと気をつけて使いたい言葉ですよね。私の友人の娘は生まれつき片方の足が少し短くて歩くたびに身体が揺れます。その子はうまれてから何千回も「かわいそう」を言われ続けて来ました。幼稚園で小学校で中学校で・・・。確かに彼女は運動会のかけっこで一番にはなれませんがそれ以外は何の問題もなく楽しく幸せに暮らしているのに、何がそんなに「かわいそう」なのでしょうか。

「かわいそう」と言うと相手に対して優越感を感じられるからでしょうか。それとも「かわいそう」と人を哀れむ自分の優しさにうっとりしたいのでしょうか。きっとなーんにも考えてないのだと私は思います。その証拠に「かわいそう」を連発する人が優しさからの行動を起こしたのを見たことがありません。口先だけなのです。ちゃんと考える習慣を持っていない。そんな人こそ本当に「かわいそう」。

私は最近ドアに塗ったペンキにアレルギーを起こして目が真っ赤に充血してしまいました。スタッフたちは私のオカルトチックな目を見て「かわいそうに」を連発します。私はこの「かわいそう」にとっても慰められて赤目をウルウルとさせたのです。同じ「かわいそう」なのに何が違うのでしょう。来年も一緒に考えてくださいね。


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