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アヴァンティ2003年4月号

■言い訳はもういいわけ

テレビに出始めの頃、新幹線に乗り間違えて、福岡に行くところを下関行きに乗ってしまって生本番に遅刻しかけた事がある。携帯電話がない時代だったので下関駅から局のディレクターに電話をいれた。

「なんでそんなバカな事を」と当たり前だが大変に御立腹。今だったら「空を飛んででも必ず間に合うように参ります。申し訳有りません」と電話器にペコペコすると思う。しかし若かった私は「私の性格で半年間一度も遅刻がなかった事のほうが奇跡なんです」と言ってしまった。局に到着した時には「今まで遅刻しなかった事を有難く思え」と言葉がもっときつくなって皆に知れ渡っていた。山際が気が強いとの誤解を生んだのはその事が始まりのような気がする。

現代の若者も私ほどではないがなかなか素直には謝らない。たいてい「バスが遅れた」「目覚ましが壊れていた」。ひどいのは「お母さんが起こし忘れた」「犬が風邪をひいた」と言い訳。えーいうるさいわい!

中には遅刻しているのも関わらず、悠然と歩いて来て「お早うございまーす」と間の抜けた挨拶をする。「何処が早いんじゃい、そんな奴はうちにはいらん帰れ」と私ならきっと怒鳴る。たとえどんな理由があるにせよ、遅れて迷惑をかけたという事実は変らないのだから走れメロスの主人公の様に走り込んで来て息絶ええろとまでは言わないが、急いで来たふりくらい見せてよ。

私が過去一番激怒した言い訳は「お婆ちゃんの病院にお見舞いに行って遅れました」である。私達オバサン年代は親孝行や家族思いの行動に確かに弱い。しかしそれを見越しての言い訳は狡いという以上のものがある。私は怒っている心とは裏腹に口から出た言葉は「そう大変だったわね」である。この人は「大人は単純だ。ちょろい」と思ったかも知れない。

でも違うのよ、こんな時の大人の心には冷たい風が吹き抜けて、「ずーっとこんな風にこの人は生きていくのかしら」と寒いのである。怒らない時の方が怒りが深い時もあるのだ。

スタッフが遅刻をすれば、上司は心のどこかで病気かな、もしかして事故にあったのではと多少の心配はしているもの。息を切らして飛び込んで来た姿に少なからずホッとしているはず。まず「すみません、気をつけます」と素直に謝ろうよ。