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アヴァンティ2002年12月号
■不幸の似合う女になるな
私が「身体が弱いの」「苦労しているの」と発言するだけで周囲に笑いが起こります。「身体も気も弱い」と事実そのままを言っているのに大笑いなんて失礼な話しでしょ。
確かにまん丸な体型が外股でシャカシャカ歩く姿そのままが喜劇的。ロマンチックな小説や映画のヒロインとは対極にいる私ではありますが、ま、良いじゃないですか。しかしこんな私だって幸せだけで生きている訳では無いのですけどね。
母が何時も言っていました「幸も不幸も升一杯づつ神様が下さっている」って。何となく納得してしまう言葉でしょ。
ところで貴女の周りにビックリするくらい生き方の 選択が下手な女の人居ませんか。こちらに幸せ有りますよって看板に書いてあっても、あえて別の道を行くへそ曲がり。「有難う」とか「御免ね」と言えていれば去って行かなかった彼。
ちょっと声をかければ一緒に歩いていた女性が彼の若作りのお母さんだと分かったの に勘ぐって悩み、結論を出してしまった早とちりな人。
深読みして相手の言葉を悪くしか受け取れないあなた。過ぎた事をああすれば良かった、こうしなければ良かったと後悔する君。言発してしまった言葉を後で後悔して言わなきゃあ良かったと悩んでもしかたないでしょ。開き直りも必要よ。
過去を悔やむと同じぐらい明日の事を思い悩む、明日どうなるかなんて誰にも解らないのに。悩み癖ののある人は過去の後悔と現在の悩み、ついでにこれから起こるかもしれない将来の不安を全部一緒に団子状にして悩む。
勝手にしたらと思うけど、やはり私は言いたい「悩むのは取りあえず今の事だけにしておきませんか」どんなに複雑にからみ 合った悩みごともときほぐして単純化すれば、案外簡単に問題解決の糸口が見つかるかも知れません。素直に生きる事と同様に物事をシンプルに考えるのも幸せへの選択技の一つ。
指輪がクルクル回るような、後れ毛が似合うような、演歌の歌詞の中の不幸が取り付くような女性にはなってほしく無いとオバサンは祈るのです。
来年も良い年ですよ。きっと! |
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